はじめまして。
「45歳からの幸せ思考セラピー」
心理カウンセラーの幸田いろはと申します。
私は現在
・アダルトチルドレン
・愛着障害
・ママ友関係、親子関係、夫婦関係がうまくいかない
・気がついたら自分には何もない
・自分を大事にして、自分の人生を生きたい
などと悩んでいる方に向けて、カウンセリングを提供しています。
私はうつ病を機に、自分がアダルトチルドレン、愛着障害、HSP気質だということに気がつきました。
かなり遠回りをしてやっと自分に合う「カウンセリング」に出会い、心と体の慢性的な疲れから回復することができました。
再び人生が輝きだすまで実に10年の年月を費やしてしまいました。
もっと早く気がついて行動をしていれば、もっと早くカウンセリングを受けていればという後悔から、自分と同じような方の相談に乗りたいと強く思い、心理カウンセラーになりました。
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幼少期
山梨県出身。3人兄弟(男・女・女)の真ん中、長女として生まれる。
跡取長男の兄が常に大事にされ、母は家政婦のような扱いを受ける家で育つ。
自分自身も理不尽なあつかいに疑問を感じながらも口ごたえをしない「いい子」として成長した。
またこの家での母の辛い生活が自分のことのように悲しくて、怒りを覚えた時期。
しかし、これが当たり前で幸せな一家だと思っていた。
学生時代〜結婚・出産期
家以外の外の世界を知ることで徐々に外交的に。
人間関係が上手いとは言えないけれど、好きなことに熱中し人生を謳歌した学生時代となった。
また、就職、結婚、出産と人生の転換期も大きな問題はなく順調に過ごしていた。
子育て期 30代
いわゆるママ友付き合いがはじまり、子どもの関係のいさかいから人間関係につまづく。
悩みがどんどん深くなり、ネガティブ思考から抜け出せなくなり、一気に人生が傾いていく。
心身の調子がおかしいと気づいていたが「自分は弱くない」「恥ずべきこと」「人には言えない」という考えから体調不良を隠し続けて8年、ついに重い症状を発症しうつ病と診断される。
40代
長年、問題が解決しないことに悩み続け、慢性的な身体の不調から抜け出せなくなったことから、超ネガティブ思考にかわってしまう。
いつも人目を気にして「自分が悪いから、自分がダメな人間だから」と自分を責めるように。
さらに「自分には何もない」と人生に希望を見いだせなくなり、無気力状態になる。
ある気づきから心理学を学びはじめ、カウンセリングを受ける。
すると幸せ思考になり、人生が良い方向に動きだす。
この経験を胸に『幸せ思考セラピー』カウンセラーとして活動をしはじめる。 ================================================
カウンセラー選びの重要性
カウンセラーとの相性は、相談をしていく上で非常に重要です。私自身、初めてのカウンセリングの苦い経験から、カウンセリングに強い抵抗ができてしまった時期がありす。
カウンセリングを検討する上でも、よろしければ私の詳しいプロフィールをお読みください。
いろはの詳しいプロフィールはこちら
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目 次
- 兄は殿様!? 〜普通の家族だけれどはっきりとした序列がありました〜
- 母も苦しんでいる 〜母のために〜
- 外へ向かって人生が充実していった10代から20代
- これが私の現実なの? 〜ママ友付き合いの躓きから人生が崩れていく〜
- 息がうまくできない、冷や汗がでる 〜でも私は強い〜
- 母からも夫からも突き放されて…
- 8年後 〜メンタルクリニックにようやくかかる〜
- 初めての通院とカウンセリング 〜これで治るかもしれない!〜
- カウンセリングなんて二度とかかりたくない!
- これからもっと良くなるかも! 〜仕事をフルタイムにしたいと思った矢先に…〜
- とにかく休むと決めて回復 〜仕事復帰の準備をするも…〜
- 無気力
- 気づきは些細なことから 〜ああ時間は有限だった〜
- 心理学とカウンセリング 〜人生が好転しはじめる!心と身体が軽やかに〜
- 幸せ思考カウンセラーに
兄は殿様!? 〜普通の家族だけれどはっきりとした序列がありました〜
私は祖父母のいる7人家族の兄と妹にはさまれた真ん中の子として生まれました。
実家は小さな会社を営んでいましたが、ごくごく普通の家族でした。
自営業であったこともあり、
跡取りの長男がとにかく大事にされていました。
兄は家長である祖父からはとくに溺愛されており、まるで一人っ子のように育てられていました。
兄が無邪気に「あれ買って」「あれ食べたい」というと家族の誰もが満面の笑みで与え、
また、私に暴言をはくなど何をしても怒られる事はありませんでした。
一方で私はというと「これが欲しい」と言っても黙ってやり過ごされたり、
「これを食べたい」と言っても
「残さず食べれるの?大丈夫?」
と良い顔をされないので、
次第に周りの顔色を伺って優柔不断になり、
自分の意見がうまく言えなくなりました。
妹が生まれてから今度は
「お姉ちゃんだから我慢して」とか、
「お姉ちゃんだから一人でできて当たり前」
と言われるように。
褒められるために親の思う通りにする、
いつもニコニコしていて何も言わない
『いい子』にどんどんなっていきました。
5歳頃小さいながらも、兄との対応の違いにたまりかねた私は母に
「どうしてお兄ちゃんは何をしても怒られないのに、私は怒られるの?」
と尋ねました。
すると母は少し考えてから
「お兄ちゃんは大事な子だから(優遇されるのは)あたりまえなの。
あなたは違うのよ。」
と平然と答えたのです。
母のこの言葉にとてもショックをうけて
「この家には私を守ってくれる人はいないんだ、居場所はないのかもしれない」
と悲しくなったことを覚えています。
本当はこう言ってくれることを期待していました。
いや、言って欲しかったのです…。
「お兄ちゃんが我儘でごめんね。あなたも大事だからね。」
母も苦しんでいる 〜母のために〜
実家は父が7人兄弟の長男だったので、
正月やお盆には父の兄弟が家族を全員連れて、2、3週間帰省していました。
その数は20人〜30人ほどだったので家はまるで旅館のようでした。
おまけに叔母やいとこ達はその間少し手伝うだけで遊んでいるため、
母が全ての家事を行い家政婦のようになっていました。
小さい頃は楽しかったその行事も、
母が大変な思いをしているのがわかってくると自分も辛くて、
できる限りの手伝いをして一緒に接待するようになりました。
祖父母が絶対の家だったので、母は言いなりの生活をしていました。
そんな母を見ても、父はいっさい取り合わずに知らんふりを決め込んでいました。
その頃父は毎晩夕食をとると、
すぐに外出してしまい帰ってくるのは私たち兄弟が寝静まったあとでした。
兄をとにかく大事にする祖父母に、母自身も従わざるを得なかったことを後から知りました。
母は祖父から「お前よりこの子(兄)の方が偉いんだ」と言われていたそうです。
母はおかしいと思いながらも、とても世間体を気にする人なので、
このことに反論したり、脱することなど考えてもいませんでした。
私が10歳になった頃から、母の愚痴が始まりました。
祖母や叔母達の悪口、父への不満、
「あなた達のために私は頑張っている」
「自分が一番頑張っている!」
というようなこと。
小さい頃はその通りだと思っていたし、
何より母の境遇に胸が痛んで、えも言われぬ悲しみや怒りがありました。
それでも時折、延々と続く愚痴に埒があかないという思いで母に
「やめてほしい、もう愚痴は聞きたくない」
「おじいちゃん、おばあちゃんにもいいところがある」
「嫌なことは断るか、言い返してみれば?」
と言ってみましたが、母からひどく怒り返されました。
母の態度に矛盾を感じつつも、
男尊女卑の旧態依然としたこの家の中では、
母娘の絆は深まっていきました。
母を助けることに満足感を得ていた私と、
愚痴を言いながらもその状態を抜けるつもりのない母は、
お互いを頼りにして必要としていました。
外へ向かって人生が充実していった10代から20代
家の内情はこうでしたが、外からみたら至って普通のむしろ恵まれた家族だったと思います。
私自身も何不自由する事はなく、家族に対して愛情もありました。
小学校の高学年からはどんどんと活発になり、
中学、高校と好きなことをして過ごしました。
習い事で進級したり、
学校で賞を取ったりすると、
自分のやったことが明確に評価されるので、
そのことに喜びを感じていました。
とくに中学からはじめた部活動には熱中し、
どんどん上達して県で上位になると、
自然と周りからも認められて、ますます夢中になりました。
人間関係も得意とは言えませんが、
(大勢でいることやいろいろな交友関係を作るのは苦手でした)
自分が好きな子と仲良くできればそれで充分と思っていました。
自分の付き合いたい友達とは仲良くなれていたのでそれで満足でした。
大学への進学が決まると、いよいよ家から出られると嬉しくて、
ワクワクする気持ちしかありませんでした。
その頃には、兄が何より優先されるこの家では、私はいいように使われるだけで、
自分は何をしても認められないと痛感していました。
そして相変わらず家に押しかけてくる親戚に長期休みのたびに気を遣うことや、
辛い目にあいながらも「しようがないのよ」と言って、
私にも同じ思いをすることを強いる母にも嫌気がさしていました。
念願叶って家族から離れた大学生活はとても充実し、楽しいものとなりました。
その後、就職をし、何回か住まいや仕事先は変わりましたが、
その間に結婚もして人生は順調に進んでいるように見えました。
これが私の現実なの?〜ママ友付き合いでの躓きから人生が崩れていく〜
出産を期に仕事を退職し子育てに専念しました。
子どもを育てることに一抹の不安はあったものの思った以上に順調で、
充実した日々を過ごしていました。
人生に陰りが生じたのは、子どもが入園して、いわゆるママ友付き合いが始まってからです。
今まで元気だった子どもが何日も夜泣きをするので、
「何かあったの?」と聞くと、
お友達のことで悩んでいるというので、そのことを園の先生に相談しました。
その日の午後、子どもの引き渡しの時にサラッと
「午前中見ていましたが、何の問題もありませんでした」
と言われました。
何日も夜泣きをしているのはおかしいと思い切って相談したのに、
半日だけ見て問題ないと報告をしてくる先生に腹が立ち、
思わず、「もっとよく見てください」と先生に言い返しました。
娘が「イジワルをしてくる」と言ったお友達の母親はクラスの中心的な方でした。
上にもお子さんがいて、先生とも長い付き合いのようでした。
しばらくすると、先生の態度が冷たくなり、
その母親には無視をされるようになりました。
幸い、子どもは元気を取り戻し他の子と遊ぶようになりました。
けれども、母親同士の付き合いはだんだんと上手くいかなくなりました。
不器用ながらもそれなりにできていたはずの人付き合いが
どんどん上手くいかなくなっている…、
そう実感する出来事が次々と起こり続けました。
仲の良かったお母様にそっけなくされたり、
ほとんど話したこともないような方に嫌な顔をされたり、
なぜ??と思うようなことばかり…。
「私の行動が間違えていたのか?」
「私がおかしいのか?」
日々繰り返し自問自答しました。
「私は悪くないという思いと、いや間違っていたんだ」
という思いが常に頭の中にありました。
答えは出ませんでした。
そして悩んでいる時間がどんどん増えていきました。
「みんなに嫌われている。これが私の現実なの?」と。
そのうち私は常に周りの目が気になるようになって…
「誰とでも仲良くしなければいけない」
「嫌われないようにしなければいけない」
「いい人でいなければいけない、うまくやらなければいけない!」
と考えるようになり、人との距離が全くつかめなくなっていきました。
それと同時に、
「私はなんてダメな母親なんだろう、なんてダメな人間なんだろう」
という思いがどんどん強くなっていきました。
息がうまくできない、冷や汗がでる 〜でも、私は強い〜
はじめて不調を感じたのは、長女が幼稚園を卒業した直後のことでした。
保護者会やママ同士の集まりに参加すると、息がうまくできないのです。
そして、手は冷たくなって、びっしょりと汗をかいていました。
その年の春休み、しばらく学校や園に行かなくていいとホッとした途端、
外出をしようとすると激しい不安感が襲ってきました。
私は、この現実を受け入れることができませんでした。
身体に症状が出ているにも関わらず咄嗟に自分にこう言い聞かせていました。
「私は弱くない、もっと強い人間だ、負けたくない」
「大丈夫、大丈夫、まだやれる」
なにに負けたくなかったのか…。
要するにメンタルを壊しつつある自分を認められなかったのです。
そんな自分を恥じていました。
当然、誰にも言えませんでした。
母らかも夫からも突き放されて…
私が子育てに取り組んでいるとき、
夫も母もいっさい手をかしてくれませんでした。
この頃には祖父母は亡くなっていましたが、
母は今度は自分の番とばかりに
「なぜ私が手伝わなければいけないの?」
ともう人の面倒なんていっさい見たくないという姿勢を貫いていました。
母は相変わらず、自分のつらい昔話ばかりをしていて、
私の話は大したことではないと耳を傾けることなどありませんでした。
夫は自分が昇進するとともに、
家庭内のことは自分がやることではないと決め込んで、
いっさい関わろうとしなくなっていました。
普段から家事育児を手伝って欲しいというわけではありません。
私も子どもたちも同時に病気に罹って、身動きがとれない時に、
少しでも手をかして欲しかったのですが、拒否されました。
子どもがかなり大きくなっても常にこのような感じで、
助けを求めると嘲笑されたり、苛つき返されたりしました。
「仕事があるから無理」
「病気をうつすな」
「あなたは専業主婦だから、何でも自分でどうにかするべきでしょう?」
「迷惑をかけるな、一人で対処できないなんておかしい」
母も夫も同じ態度でした。
私は一人で頑張らないと、頼るのは恥ずかしいこと、
誰にも迷惑をかけずに子どもを守らないと!と必死でした。
そんなこともあり、自分の体調のことは母にも夫にも打ち明けることができませんでした。
8年後 〜メンタルクリニックにようやくかかる〜
人には言えなかったので、うつの改善に関する本を読み漁り、
これがいいと思われるものは全て試しました。
散歩、ストレッチ、マッサージ、サプリメント…。
海外からビタミン剤を取り寄せて飲んだり、
プロテインがいいと言われれば、朝晩2年ほど飲み続けました。
仕事は好きだったので、違う世界を作りお金を稼げば自己肯定感も上がり、
体力もついて元気になるかもしれないと、職場復帰もしました。
そして、普通を装い、ニコニコして学校行事にも参加し続けて8年後、
ついに身体が動かなくなりました。
家族と食事をしようとすると
動悸が始まり、
座っても息がうまくできない。
寝転んでもいてもたってもいられず、
息ができなくて、もう意識を保つのが辛い。
「息をするのもつらい、動けない…、こんな状態では生きている意味がないのでは…」
ようやくメンタルクリニックにかかる決心をし、夫にもそのことを打ち明けました。
憔悴しきった私の訴えに、夫も治療することを了承しました。
初めての通院とカウンセリング 〜これで治るかもしれない!
クリニックは投薬なしで治ると評判のTMS(頭部に直接磁気刺激を与える施術)
を受けられるところを選びました。
投薬は合う合わないがあること、副作用、離脱作用があること、
とくに根本治療にはならないという話を聞いていたので、
悩みましたがこちらの病院の説明を聞きに行きました。
この治療コースにはカウンセリングもセットになっているとのことで、
それはありがたいと即決しました。
治療ははじめのうちは緊張したし不安もありました。
何回か受けるうちに慣れてきて、また効果も感じられて
「これで治るんだ!」
と希望が出てきました。
一方、初めて受けるカウンセリングは怖いと思いながらも、
期待をする気持ちがありました。
カウンセリングなんて二度とかかりたくない!
緊張しながら臨んだ初カウンセリング。
1回目は簡単なアンケートのみで終わりました。ホッとしました。
ところが、最終回はこのカウンセリングを受けたくなくて、治療に行きませんでした。
なぜかというと、私のかかったカウンセラーさんは
全く私自身の話を聴いてくれなかったのです。
というより聴いてもこなかったです。
聞かれることといえば、治療を受けてどれくらい良くなったのかのみでした。
「まだ調子が悪い」というと、
「この治療を続けていれば治ります。」か
「お薬出してもらいましょうか、先生とお話ししますか?」
いつも同じ答えが返ってきました。
この病院の診療方針だったのかもしれませんが、
医師との診察でのやりとりとどこが違うのかわかりませんでした。
まったく話を聞いてくれる様子はなく、
改善したという答えを期待して聞かれているようで、
「よくなったと言わなければいけないのかな?」
と本当の気持ちを答えづらくなっていました。
話を聴いてくれない相手に
「何を話しにいくのか?」
と毎回緊張していました。
思いきって
「まだ良くなっていない、ふらつきがおさまりません」
というと、カウンセラーさんは少し考えたあとに、
時計を振り子として使う催眠術の例をだして
「あなたは自分に自己催眠をかけています。」
と言われました。
「え⁉︎そうなの?そうかもしれないけれど…」
なんとも嫌な気分になりました。
これが私の初カウンセリング経験です。
これ以降、カウンセリングは信頼できないと思い込み、
心に問題があると気づきつつも、
カウンセリングにかかろうとも、探そうともしませんでした。
これからもっと良くなるかも!仕事をフルタイムにしたいと思った矢先に
カウンセリングにはがっかりしましたが、頭部への治療の効果はあり、
息切れや不安感、頭痛などは解消されていました。
「このままもっと元気になったら、仕事を増やしたい!フルタイムになりたい!」
と希望が溢れてきました。
ところが、半年ほど経った頃にまた頭痛がはじまりました。
1年後には、仕事に行く前は酷い不安感に襲われ、
なんとか仕事をしても帰る頃には酷い頭痛とふらつきで、
倒れるのではないかと内心ビクビクしていました。
仕事の人間関係で悩んでいることもなく、
仕事内容もそこまで大変ではなかったので
「どうして?」
という思いしかありませんでした。
結局、フルタイムになるどころか、
一度しっかり休んでみようと職場を退職してしまいました。
とにかく休むと決め込み回復! 〜仕事復帰の準備をするも…
今回の療養はとにかく仕事をしようなどと気にせずに、疲れたら休むことにしました。
1年かかりましたが、気がついたら頭痛は無くなっていました。
また、本を読んだり、テレビを見るのもつらくはなくなっていました。
もう1年も休んでしまったから仕事復帰をしようと、
求職活動をしつつちょっとした講座を始めました。
すると、また調子が悪くなってきました。
「もう少し休めばもっとよくなるかな。」
始めたことをやめてしまいました…。
ところが、何もストレスなくゆったりと過ごしていたはずが、
自己免疫疾患の病気が次々と勃発。
命に関わる病気ではないけれど、大学病院に通う疾患で、原因はわからない。
一度投薬治療をするも酷い副作用に見舞われて断念しました。
再び「どうして?」という思いが…
無気力
さらに1年が過ぎようとしていました。
普通の生活はしていましたが、毎朝、起きた時から酷い倦怠感で、
何もかもやる気がしなくなっていました。
また、長女の大学受験について考えていたら、急に焦燥感も襲ってきました。
「私が家から出ることに喜びを感じた年と一緒になるんだ、
何よりも優先してきた子どもの手ももう離れる。」
「あれ?私なんのために生きているんだろう?なんの希望もない、昨日も今日も明日もどうでもいい」
何年も体調が良くならないことに注視し過ぎて、
もはや原因の出来事や心の問題などどうでも良くなっていました。
そして、
「体調が悪化するとまたうつになるかもしれない、元うつだから体調がおかしいのかもしれない」
という負の連鎖にどんどんハマっていったのです。
当然、10年近く心の問題を放置し続けた結果、
人の目を気にする傾向はますます酷くなっていました。
何をされても怒れずに笑い、
「悪い出来事は全て私が悪いのでは?」
と考える癖がついていました。
周りの人の態度に必要以上に敏感になり、
少しでも人の機嫌を損ねたと思うと、
「私が悪いからあんな態度を取られるのかな」
という思考になっていました。
突然の気づき 〜ああ、時間は有限だった〜
そんな時、大学時代の友人から会おうという連絡が来ました。
こんな状態だけれど、一番楽しかった時の友人たちと話せば、
気持ちが上がるかもしれないと思い会うことにしました。
彼女たちとは勤続している仕事の話や、
何年も続けている趣味の話、起業した友人の話、子どもの話などをして、
「子育てもおわる、これからどう生きていくか考えてる?」
ということを話して終わりました。
その日はとても楽しかったのですが、それからしばらくすると、
今度は「仕事もしておらず何もない」自分にうなされるようになりました。
ただ、私はこう思ったのです。
「あれ?体調の悩みではなく、今の現状に落ち込んでいる自分がいる」
「私このままでいいの?」
「また1年を死んだように生きて、何も変わらない自分を責めるの?」
「誰かと比べてしまう自分にフタをして生きるの?」
「そんな自分はもう嫌だ!」
・休んでいても、病気は次々にやってきた。ならば動いてみよう
・「ない」ことばかりに目を向けてきた、ならば「ある」ことに注目しよう。
・人と比べて自分で勝手に惨めになっていた、
ならばこれから理想の人になれるよう行動すればいい!
ああ、時間て有限だったんだ!40代、人生はまだまだこれからだ!!
急に目の前が開けてきました。
心理学とカウンセリング 〜人生が好転しはじめる!心も身体も軽やかに〜
行動しようと決めてから、とにかくまずは心の問題を解決しなければいけないと思い立ちました。
そこで、心理についての学びを始め、ついに目を逸らしていたカウンセリングにも望むことに。
この時には
「変わりたいけれど、このままではすぐにいつものネガティブ思考に戻ってしまう」
「一人で解決するのは無理だ」
と感じていました。そして何よりも誰かに
「自分の弱さや悩みをさらけ出して受け入れてもらいたい」
「誰かに助けてほしい、助けてもらおう!」
と思っていたのです。
以前のカウンセリングで話を聴いてもらえなかった私は、
慎重にカウンセラーさんを探しました。
何人かのカウンセリングを受けたあと、ついに
「こんなカウンセリングがあったんだ!もっと早くに出会いたかった」
というカウンセリングの学びの場に出会ったのです!!
そこで心理学を学びつつ、カウンセリング療法を自分にも行うことで、
自身の心も癒されていきました。
もちろんたびたび元の思考に戻ったり、つまずいたりはするのですが、
先生やカウンセラーの先輩方に正しい方向に導いてもらえ、
対話によってたくさんの気づきが起こったのです。
また、常に自分を苦しめる考え方をしていたことに気づき、
徐々に自分を許し、受け入れられるようになってきました。
すると、いつも気にしていてた身体の不調に注視することがなくなっていました。
さらに重苦しく、身動きできなくなっていた身体が軽くなってきているではありませんか。
驚いたことに悪化していた逆流性食道炎と、慢性咽頭炎は治っていました!
また、自分を認められるようになると、自分軸ができてきて、
夫や母にも自分の意見や気持ちをはっきりと伝えるようになりました。
すると、私を尊重してくれるようになり、関係も穏やかなものに改善してきました。
ネガティブ思考から、幸せ思考にかわってきたのです。
私の中で止まっていた時間が動きだし、輝きはじめました。
幸せ思考カウンセラーに
今からでも遅くない!
自分軸で、幸せは自分の心で感じて、自分の人生を生きていく
そう胸に刻んだ私は、この心理学の学びを、同じようにつらい思いをしている方に伝えたいと思い、心理カウンセラーになることを決心しました。
そして
・悪循環を断ち切るワーク
・自分をゆるすためのワーク
・不安とうまく付き合えるワーク
・嫌な相手を吹き飛ばすワーク
・フォーカシング
などの心理療法を学んで、カウンセリングを提供できるようになりました。
現在は
・アダルトチルドレン
・愛着障害
・HSP
・ママ友関係、親子関係、夫婦関係がうまくいかない
・気がついたら自分には何もない
・自分を大事にして、自分の人生を取り戻したい
と悩み、苦しんでいる方に向けてカウンセリングを提供しています。
「こんな悩みでもいいの?」「誰にも話せていない」「ずっと気分が沈んでいる」とお悩みの方
ぜひ一度、私とお話ししましょう!